やがて霧の薄まりゆくのを頬で感じながら、少年はその場所をつくられた廃墟だとおもった。

 

 

繭のシックザール

 

 

 どこから光が降るのだろう。

 破片、粒子。それらが触れられない塵のように舞っている。

 霞は気配を残しながら、曇天というにはけれど繊細な、光に満ちていた。

 そうでありながらそこに外部の熱光源の存在をまったく感じられないことを、少年は不思議に思った。あらゆるものを照らすのは、外からとどく光ではない。景色は未明のようにわずかにぼやけて、はだに触れる空気は涼やかで透き亨る夜のにおいを保ったままだ。大気そのものが熱を含まない、ただ明度と彩度とをもった粒子のあつまりだけで稠密に構成され、こぼれだしたノイズが自身の内から発せられる光によってかがやいている……そんなふうに感じられた。光の粒子のなかには極微のものから破片のようなものまで、さまざまな大きさのものが入り混じっている。それらはゆるやかに天から地上へと移動していて、空から降るようだった。手を翳してもその軌道は乱れない。じぶんのほうが透けてしまったのではないか、と少年は錯覚さえした。

 大気はこまやかな光をはらんできらきらと瞬いている。

 砂のような、金めき銀めくホログラム。

 降りくる光の粒を追って、頭上を仰ぐ。

 そこには雲がない代わりに歯車がある。薄氷でつくられたようにうすっぺらく透明の、質量をもたない巨躯の歯車たちは円天へ乗算され、きりきりと動きつづけていた。

 この空間はいままでに知るどんな場所ともちがう――ということが、まず最初にわかったことだった。

 だけれどそれは不快な違和の感覚としてではなく、むしろからだへ浸食する心地よい静けさとつめたさとによって知覚された。

 少年はそうしてそれが、ここには膚を灼く照光衛星ソルの光が届いていないためだということに、ふと気づく。

 生物、とりわけ人が棲む天体であるかぎり光と熱とが必要だということは、だれでも知っている。照光衛星はちょうどよい(人とその愛玩動物が棲むのにちょうどよい)量のそれらを提供する機構で、<Sol.>が展開する人工天体シリーズだ。すでに購入してある天体の開発着手の際に単体で購入することもできるが、そもそも 照光衛星ソル がなければ人の住処には適さないので、ふつう、いくつかの未開発天体との抱き合わせで売り出されている。遠い過去にはそういった機能を担う〝天然物″が存在していたというけれど、照光衛星ソルとともに新天地の開拓を何百年何千年にもわたって独占し続けてきたPax.Solの時代においてはほとんどおとぎ話のように思えた。たしかにそれがなければ生物は存在しえなかったろうから、おそらくは実在したのだろう、という程度の曖昧な認識で語られる「有力な仮説」にすぎない。

 その仮説に付随するかたちで、かつてその星が死にゆくとき、あらゆる技術が失われたとする説がある。たしかに現在と過去の歴史のあいだには完全に断絶されたひとときが横たわり、それ以前の科学の成果はほとんど残されていない。わずかに残った紙のきれはし、書物、洞窟に彫られた絵などから、ひとが生きていた痕跡をかろうじて知ることができるくらいだ。その途絶の原因というのが、天然の照光惑星の崩壊だった、という説だ。とはいえ何千年も昔のことで、発展し続ける現在の科学からすればそれらは未熟な文明の残り香でしかない。

 ところが、その文明というのがじっさいは現在よりずっと進歩したものだったとか、今も秘やかに稼働し続ける高次の遺構があるとかいう話が、いまのちょっとした流行りになっている。謎めいた過去に関する興味や好奇心によるものか、かつては照光衛星ソルを介した<Sol.>による統制と管理(聞こえは悪いが事実としてはそうだ)が存在しない世界であったということ、あらたな時代への期待からかもしれない。この説を提唱したのは「浪漫的な」発想で知られる歴史研究グループで、支持している人間のほとんどは科学者でも歴史家でもなく、それらに疎い一般人、あたらしい発見と成功を追いかけるベンチャーか、そうでなければオカルトに傾倒する者たちだった。この〝浪漫にあふれすぎる″説と宝さがしに熱をあげる有象無象に呆れ果てたある科学界の権威は、「そんなものがあるとすれば、それは<存在しないエーテル機関>だ」と暗にこの時代には不要の、時代錯誤な発想であると嗤ったのだが、彼の揶揄によって架空の遺物たちは〈エーテル機関〉という名づけを得て、皮肉なことにその実在を証明しようとする気概は加速してしまっている。

「一度あらゆる技術が失われた」という部分に限っては、けれど<Sol.>が掲げるコンセプト・イメージと謳い文句に採用されている。あまりにも有名だし、どこでだって目にする。群青の半円、そのなかへ散らばる無数の同色の点と、中心に金の点がひとつ。そこから拡がるようにして銀の箔押しできらきらと点描された夜天の図版に、併記された一文。〈我が社の照光機関はもういちど星々を瞬かせ、青く閉ざされた星図を銀の海に變えるでしょう〉。

 あるいはそこへ、小さく〈銀のかがやきは歓迎されています〉と付け加えられたヴァージョンもある。

 物腰をやわらかくしていても、つまりは滅びた世界を照らしてゆくのはわれわれの商品である、ときっぱりと言い放つ広告だった。誇大にすぎると一概に切り捨てられないのは、じっさい人の棲む天体で照光衛星をもたないものなど存在しないからだ。

 だからもちろん、この<月>の外側にもたしかに照光衛星はかがやいているはずだった。

 けれどこの場所にかぎってはその光と熱とから劃されているらしい――空を覆う梁や壁があるようにはみえないのに。内側から発光する大気。外部から光が届かないということ、それは正しい――少年が知る意味での正しい、朝や昼というものはここにはやって来ないということだ。

 目に映る景色がたとえそのように変化したとしても、情報端末に表示された映像が密とならぶ区画の変容で移り変わるように、この空間を構成する明度と彩度とをもつ細やかな粒子が揺れ動いては朝や昼や夜を象っているにすぎない。……そういうことに、なるのではないか。

 ここは彼の知るどんな場所でもない。

 ここには、だれの気配さえない。だけれどたしかに、ひとが立ち入ることを想定された空間だった。照光衛星の光と熱とはとどかないのだけれど、この場所は温度だってうばわれてはおらず、凍り付くでもなく彼はここに立っている。つまり、なんらかの温度調節も この空間には同時にはたらいているのだ。ひとにとってちょうどよい「設定」で。

 つくられた廃墟。

 あるいは箱庭。

 〈エーテル機関〉……。

 少年は呟き、自分の現在地を確認する。

 (――回廊だ)

 

 

 

 

 

 

 この場所への入り口は、扉だった。はじめに知覚できたのは、はだで感じる大気の質感が変わった、ということだった。すうっと一瞬、なにかが「消滅」して、べつのものを「再起動」した……そんな感覚だった。

 そうかと思えば、もうそこに扉が出現していたのだ。

 はじめ、彼はそれを凍っているのだと思った。石英を彫刻したような、白く硬質に聳える扉はあまりに巨大で、つるりとした断崖のようにも思えた。

 表面へ目を凝らすと、そこには薄く透き亨る歯車がとじこめられている――それらがめいめい、回転をはじめている、と気づいたとき、扉は彼を迎え入れるかのように、きいきいと自身をひらいてみせた。

 つめたい霧が隙間からなだれ込む。

 吹き込んだ霧は、少年のからだを嵐のように、しずかに、一瞬間に撫でていった。

 それは、ただの水蒸気ではなかった。そこには、なんらかの作用をもたらす文脈……魔法ともいえるべきものがかかっていた。

 たとえば音楽ににていた。

 あらゆる旋律。

 あらゆる音調。

 あらゆる音階の調和した実在しえない波の総和が、ひとときで彼の内側を繙き、擽り、浚っていった。解析し、読み取り、すくいあげ、こんどは聞こえない音の波の群れが、彼のうちにある膨大な体験を追視し再現するかのように、暴力的に演奏された。

 かれはかれのかたちにもういちど構築される。

 静謐に満ちていて、痺れをともなう凝縮された一瞬間。

 淡い陶酔がまだ、残滓として漂っていた。

 爆発的な刹那のうちに呼び熾されてひとつ残ったのは、繭のイメージだった。

そ れはかつて彼がもっていた、忘れもしない(できない)、執着のかたち。

 胸のおくふかくで眠っているはずだったそれを、霧は思い出させるようになぞっていった。

(あのむこうに、それが、ある?)

 疑問は、けれどほとんど確信だった。

 そこへ行かなければいけない、と思った。

 少年の足は躊躇わず白い霧の海へ踏みこんでいた。

 霧が濃くなってゆくほど、肺に滑りこむ空気、からだにふれる空気はだんだんと質量を失っていった。それはかたちを持つ、という概念の存在しない世界の奥へ奥へ、潜っていくみたいだった。すべてが流動的で、抽象的で、実体をもたない、原初の、どこか。夢のむこう。呼吸をするのはこんなにもかろやかだったろうか。霧の海は歩くというより泳ぐようだ。彼自身が透明になったように思った。

 この霧の海は、どこへつながっているのだろう?

 

 

 

 

 

 

 そうして少年が視界を取り戻したとき、立っていたのは扉の前ではなく、柱の列のただなかだったのだ。

 はるか高くに見える天井は円柱へつながって、完璧な曲線カーヴを描いて均等に空間を分割している。そのどこにも色彩を与えられず、まじりけのない白だけをゆるされていた。削れて、あるいは毀れた表面に蔦が這い、色素を奪われたように、それも白い。風とおしのよい、開放的な回廊。いまも絶えず光の粒が降っている。外を臨めば、空には薄氷めいた歯車が、地上には延々とつづく湿原がある。そこには、ゆったりと彎曲した、水晶でできた肋あばらのようなものがぽつぽつと突き立っているのも見えた。生えている、と言ったほうがただしいのかもしれない。あれは、植物だろうか――そうは見えないが、不思議と人工物だという選択肢は排除されていた。

 ずっと向うには、双子のように対になった塔が聳えている。それも外壁は白かった。すらりと華奢で、それでいて鞏固に峙つ塔は、この空間を象徴する記号としてデザインされている、と思った。

 そのどこにも、ひとの気配はない。

 鑑賞のためのミニチュアをそのまま等身大へそっくり移しただけの、虚構のにおい。

それでいてどこか神聖なもののような無菌の清潔さと静謐とがあった。

廃棄されたのでなく最初からほうりだすために用意された、もっと正確に言うのなら、廃墟というよりほとんどオブジェだ。

 ここは、神殿ににている。形而上の主をすまわせるためだけに用意された、形而下の庭。

 祈るものは必要でない。

 ではどうして、こんなに完璧な空間の切り取りと創出ができるのに、わざわざひとが入り込める仕様にしたのだろう?

 ふと彼がうかべた問いに、答える者もない。

 

 回廊をすすんだ先に、その〈広間〉はあった。

 正確には、そこへたどり着くまでにもいくつか部屋はあった。たとえば、鳥籠をいっぱいに吊るして、中へ石を飾ってある部屋、だとか、中身のないさまざまの額縁が――額縁だけが一面に掛けてある部屋、だとか。ばらばらの時間を指す時計が、壁に机に硝子ケースに陳列された部屋もあった。みんなどこかちぐはぐで、落書きのような、可愛らしさを携えたいびつさをもっていた。成長をこばむ駄々のような不安定さを具体化して、〈部屋〉シリーズとでも題して展示しているようだと思った(いったい誰が、誰にみせるために?)。

 開いた扉の向うには、それらの何倍も贅沢に空間を使った、たっぷりとした部屋がひろがっていた。

 これくらい広ければ、部屋ではなく〈広間〉だ。

 ドーム型の天井。

 回廊と同じように、白い蔓が這い、壁は崩れ柱は毀れていた。

 それは経年によるものではないと少年には思えた。最初からそのように造形されていて、どこも欠けることなくこのすがたで完璧なのだ、と。侵蝕する蔓の一本でさえこの部屋の何をも損なってはいない。

 潰えた柱のあいだからは光が射し込み、ふかい陰影をつくりあげている。

 そう見えた、といったほうがいい。正確には光が、射し込んでいるのではなかった。空には光源がない。柱やこの広間自体の明暗は、というよりこのひろい庭や空間は、そのように「調節」され、大気を構成するあの光の粒子たちが、明度を刻々と変容させて描き出している絵にすぎないのだろうから。

 円天には夜を模した群青の壁に星図が金銀で描かれ、星や月の飾りがオルゴールメリーのように吊り下がっていた。それらは赤子をあやすようにゆらゆらと揺れている。まるで巨きなこども部屋だ。少年はあたりを眺め、ふと視線を止めた。

 ちょうど真正面。だけれど、ここからまだ少し、遠い。

 ひとのかたちがある。

 広間の最奥だった。四段の階段を従えた檀上の、蔓がいっそう絡み合い、盛り上がり、繊細に綯われた場所に。

(あれは、石膏彫刻?)

 それは白い蔓の交錯によって描き出される褥に、厳かに横たわっていた。

 ちょうど背と膝とを抱きかかえられたように、すべてを預け、手折れそうなほそい腕と両の脚とは力をうしなってふらりと下へ投げ出されていた。十になるかならないか、おさなさを残す蜉蝣めいたからだはしなやかな曲線をえがいてよじれている。幾重にも折り重なる蔓の褥はその躯体を抱き上げるように伸びていったのだとさえ感じられたし、そのほうがずっと正しいだろうと思った。彫刻というより、植物と同化して何億年ものあいだそこに在りつづけた、太古の化石めいていた。

 そのすがたは少年にあるひとつの画像を想起させた。眠る青年。からだをちょうど同じように投げ出して、赤子のようにやすらかに。それから彼を抱きとめる女性。うつくしいヴェール、皴と襞。〈ピエタ〉。そう、そんなラヴェルがついていたように思う。いまや文化ライブラリの中で息づく画像資料でしかなく、すでに存在しないその彫刻は嘆きの聖母像と書かれていたように記憶している。いま目の前にあるこのおさない像を嘆く者は、けれどどこにも見えなかった。抱いているのは、しなやかな蔓たちだけだ。

 少年はゆっくりと歩を進めていた。じぶんの意思のように感じていたが、それだけだと確信するほど尊大でもなかった。これは本能的なものでもある、という感覚もきちんと自覚していた。吸い寄せられるように。けれど意思のほうだってそれに賛同している。これほど意識とからだとの完璧な共鳴を感じるのははじめてだった。そう感じられるほど、きんとはりつめた無菌と清浄とが五感を閾値にまで研磨していた。

 石膏めいた膚は近付くにつれ硬質でいて密度の高いやわさを持っているようにさえ見え、その素材について思い当るものをうしなった。それからいくつかのことに気づかされた。彫刻には題のあたえられていないことに、それでいて睫毛の一本に至るまで巧緻につくりあげられていることに、唇だけが赤くつややかに濡れていることに。

あまりにも自然に、そうすることがはじめからかれの二重の螺旋のなかへ書き記されていたかのように、彼の掌はその白い彫刻の頬を撫でていた。ひやりとした感触があり、掌に吸いつくそれは想起される硬さにたいしてずっとやわらかだった。自らの掌を眙める少年のひとみはいつよりもずっと赤く鋭利で、視線によって匕首をつきつけるように、しかしじっとりとした緩慢さをはらんでいた。観察者の目はその瞬間に完成されたのだ。傷をつけるように慈しむ。そのまま指先はするりとくだってゆき、真っ赤に濡れた唇を拇指でなぞった。彫刻にはおよそふさわしくない、湿度と温度とを持ったやわらかな感触があった。

 少年の拇指に、ぬらりと光るものが付着していた。

 血。

 それはまぎれもなく、血の色をしている。

 そうとたしかめたときだった。

 彫刻のこどもの、開くはずのないうすい目蓋が、ぴくり、と跳ねふるえた。

 

 このさき何秒かにも満たない光景を、忘れることはこれからきっとないだろう。

 

 呼吸さえ放棄してしまえる静けさのなかで、少年はそう予感し、確信していた。

 全身が記憶装置にでもなったふうに、流れる光景のすべてが一フレーム一フレームのスローモーションに映った。静止画のつらなりのように。儀式の記録のように厳かに。

 震える目蓋。白霜の降りたような睫毛の玉簾がひらく。ふうっ、と蕾めいた唇が息をはきだし、そこに命のあることを知らせた。頬を包む掌の体温をたしかめるように、おさない指を添えながら。こどもの化石は蘇生する。睫毛の間から覗いたひとみと、少年のひとみとが、淡い焦点ではじめて絡まった。とろりと細められたそれは硝子めいて透きとおり、まるでつくりものだった。

 どこまでも白く、果てなくあざやかな記憶の一点。

 彼がいつか年を経て、この瞬間がそういうものになるだろうということを、少年はからだのすべてで感じていた。

 そうして彼の胸の奥のそれは、花開いた。

 幾千もの白い蔓の繊細になわれた褥。

 繭のイメージ。

 

 

 

 

 

 

 父は稀に帰って来ると、必ず幾つかの「土産」をもたらした。それは菓子の包み紙や石など、気の向くままに蒐集されたけして贅沢ではないものたちだった。夜のあいだに机上へそっと置かれていることがほとんどで、手渡されたのは数えるほどだ。顔をあわせる機会など一年のうち数回にも満たなかったろう。いま思い返しても父は青年のすがたでしか描けない。帰って来たというよりふらりと立ち寄るふうだったが、ごく自然に上がりこむということは父ということなのだろう。それくらいの認識だった。そうでありながら、もう顔も声もはっきりとは覚えていないくせ、靄の立像となってときどき唐突に思い出される残り香のようなひとだった。

 その日もいつもの、土産のつもりだったのだろう。少年へ父は繭を与えた。めずらしく手渡されたのを覚えている。

綿の敷かれた白い正方形の小さな箱に、それは軽やかさと鞏固な繊細さとを纏ってころりと眠っていた。

 あるいは、眠ってなどいなかったのか。

 父は、この繭は長いこと孵らないんだ、といった。どろどろに溶け合ってそのままなんだ。死んでいると思う、生きていると思う。そう、父は少年へ尋ねた。シュレティンガーの猫、と答えると、父は嬉しそうに笑った。猫は好きだよ、とまるでろくに会話にもならないことをいった。そうやっていつだってひとをはぐらかすように生きていた。思えば、父はそれから姿を見ない。ただ、猫のようなひとだ、と漠然と思っていた。死んでいるのか生きているのか、けれど顔も覚えないままでいいような気がしていた。

 肉親に対してのことだから、もっと憧憬や拘泥があって良かったかもしれない。けれどかれは執着を持たなかった。それはあらゆることについて。あちこちを漂流する父に、ついに現れさえしなくなった父に、自分は似ているのかもしれないと思った。

 ひとと交わるのには積極的なほうで、そうする中でこそ自身が繊細な感情の機微というものをたいして持っていないのだと気付くのにそう時間はかからなかった。かれの生まれた<Sol.>は公的な組織の名であり、企業の名であり、それ自身が人工の大積層都市でもある。ひとはラヴェル分けされ、それに対応した層にだけ生きることをゆるされる。身分制度というものをそのまま可視化した都市の中で、かれが少年期までを過ごしたのは〈塵の窟〉と名づけられた、最底辺の階だった。だけれど人びとの首をゆるやかに絞めてゆく貧しさをかれは先天性のちょっとした誤差のように甘受していたし、少年たちがその度に己の身の上を呪った〈寄宿舎〉の、客を取るしごとも苦ではなかった。もっとも、それだってかれにとっては手っ取り早く稼ぎを得られる手段として自ら選びとった生きかたのひとつに過ぎなかった。じっさいそこで運よく見初められなければ、こうして<Sol.>の外へゆけることもなかっただろうから。

 〈寄宿舎〉で同じ年ごろの少年たちと居を共にする中で、かれらの情緒の多様性と豊かさとをいつも感じていた。喜び、嫉み、恨み、涙し、その発露の一つ一つに抑揚と物語とがあり、いきいきとした烈しさを伴っている。彼らのその宝石のような生のきらめきにまじりながら、けれどだからこそ、それらを自分は持ってはいないのだと気付いていた。

何事も受け入れられないことはない。足掻かなければならないほどうまくいかなかった記憶もない。いつだってひとより身軽だった。世界のすべてが膜を一枚隔てた向うで行われているかのように、やすらかに凪いでいる。観客席で観る舞台だ。穏やかな笑みと拍手とを送って讃えながら、そこに自身は最初から参加していない。傍観者の目。あるいはエキストラのひとりを完璧に演じる俳優。自分だけの宗教も持たずなんの傷もつけられることないかろやかさで、ひととひとのあいだを漂うように生きていた。それでいて一歩引くのでもなく、ひとの感情の機微は新鮮で、そこへふと立ち入ってみるのが好きだった。紳士的だとか、博愛主義だとか評されるのはよろこばしい事故というもので、だってなににも拘泥がなければ博愛になるほかないだろう。通りすがりの猫の首を撫でるように、甘やかすように、ひとにだってそうしただけだ。それ以上のものをなにも持たないだけだ。それさえ寂しいとは思わなかった。そういう種類の人間だっているのだろう。父がきっとそうであったように。

 だけれど、だからこそ少年は父から手渡された繭を見つめるときにだけ、自身が恍惚と高揚を抱いていることにも気付いていた。

 気付いて、不思議に思った。

 それは熱情に近かった。

 いつまでも繭は孵らず、少年は最初のうちは、なんの虫になるのだったろうと思いもしたが、そんな空想にはすぐに飽いた。あまりに意味がないように思えた。孵ってしまえばそんなことはすぐにだって判明するのだし、きっと図鑑ででも調べたなら答えは見つかるだろう。そういうことになら興味などなかった。繭ははじめ、そうして長いあいだ机の隅に追いやられていたが、あるときふと少年は目に入ったそれに対してとりとめもなく、この繭はなぜこうあるのだろう、と思った。

 繭の中のどろどろになったものは、自分が何になるのか知らないために、分化できずに蠢きながら永遠に夢を見続けているのではないか。

あるいはもうずっとまえから繊維と溶け合い、繭それ自体になって、ほどけばするすると解けて何も遺らないのではないか。

 そうだと思えばその光景は頭の中でありありと花開いて、密やかに色づいた。それはどちらも詩篇めいてうつくしかった。

 背をなぞられたような気がした。

 うつくしかったのだ。そのディテールは、光景は、どんな蝶蛾になるかと想像したときよりずっと、生々しく、息がかよった夢想だった。官能的でさえあった。かれが惹かれたのは、繭の中に収まった、未分化であることのもつあらゆる可能性と羽化しない不可能性の拮抗した共存だった。

 それからいつしか少年は未分化のものだけをとくべつに美しいと思うようになっていた。分化しない不完全性、手に入れられないものこそが唯一彼の心を動かしてくれることを知った。安定しない、それでいて変化しない、あらゆる変遷の可能性と普遍とを兼ね備えたものが、もしほかにあるのなら。蕾であり続ける花を、種のわからない胚を、実りを知らない果実を。そういった夢ばかりを見た。

 そんな感性や拘泥がじぶんの中にあったことに少年はまずもって驚き、静かに、そして執着した。あざやかな、痛ましいほど爆発的な、痺れるほど熾烈な、熱情に。

かれが執着したものはそこに物資的に横たわる繭ではなく、執着それ自体だった。

炎めいたそれを留めたい、と思った。

 これほどあざやかなものがあるのなら、自らの胸の内にいつまでも焚いてみたいと思った。

 けれど、かれの心に薪として投じられた繭は、あるとき忽然と姿を消していた。あれほど長いあいだ羽化しなかった繭のなかの虫は、それでも羽ばたいただろうか。あるいはほんとうに解けてなくなってしまったのだろうか。いまとなってはわからない。ついに何者であったかも告げずにたしかにそれは消えてしまった。その終わりかたは、少年にとって完璧だった。目の前で羽化してしまえばきっとかれは飽いたろう。あの繭がそれを知っていたはずはないのだけれど、とり残された夢想は行き場をうしない、以来、少年のその胸の奥で眠り続けていた。

 目覚めのときを待つように。

 いま、それはゆっくりと息を吹き返していく。

 

 

 

 

 

 

「もう忘れたかな、きみは。あのときのこと」

「あのときのこと?」

 少年はーーいまはもう青年というのがただしい、からだはすっかり成長し、子どもらしさはひとつも残されてはいない。彼はなにかひどく懐かしむようにいうが、それでいてその問いじたいはとくに意味をもたない。そうやってひとりごちたものを子どもは掬いあげる。だいじなものみたいに、けして聞きのがさないように。

 白い子どもは彫刻などではなく少女だった。

 少女であるという意味も、少年ではないという意味も、知らない。

知らなくていい、と青年は思った。知らないからこそどちらにだってなれないし、どちらにだって、なれるのだ。

 知らないのではなく教えていない。そんなふうに教えていないことが、たくさんある。そのようにこの子をつくってきたし、これからもきっとそうするだろう。

すべてあの瞬間に決まってしまった。顫える目蓋がひらくそのとき、こんどこそこの〈繭〉を手放さないと。

「あのときってなに」

「あのときといえばあのときだよ」

 忘れてしまったの、と尋ねると、子どもは拗ねたように、「教える気がないんなら黙っててよ」と吐き棄てる。

 ときどき、この子はなにもかもを憶えているのではないかと思う。情緒のゆらぎでこの子自身が誤魔化されていても(この子自身が誤魔化しているのだとしても)、その奥ふかくにはあらゆる記憶が堆積し、なにもかもをきちんと覚えていて、内側からじっと見詰めている――そんな気がしていた。

 共犯だ。

 ねえ、共犯だろう。

 あれから手を取り合って、お互いを傷つけようとして、お芝居を続けているね。

 青年はその横顔へひっそりと問いかけた。白い、霜のような睫毛は、そこから凍っていって化石のように動かなくなるような気配さえした。

「ねえ」、と少女はぽつりと、落とすように言った。

「どこかへ、行ったりなんかできないよ。僕は」

 それはどんな文脈を読み取ったうえでのせりふだろう。

 ――うん、と青年は呟いた。時間はなめらかに凪いでいる。「知っているよ」

少女がほんとうは何を言おうとしたのかはわからない。ときどき知らない誰かになる。くるくるとめまぐるしく変わってゆく。ああ、どろどろの、繭だ。いつまでもいつまでも留めておかなければいけない。何度も傷をつけて、掻き混ぜて、かたちなんてなくしてしまうくらいに。

「知って、いるよ」

「うん、僕も知ってる」

 少女はくすくすと笑った。鸚鵡返しをするだけのゲームをはじめたのだ、と分った。ただの、こども。王のように不遜にふるまうこともあれば、聡明な少年に見えることもあるし、こうして稚拙さを隠しもしないでおさない遊びに夢中になることだってある。

上書きして上書きして、そうしたら「ほんとう」はどこにあるのだろう。この子の「ほんとう」は、どこに保存されているだろう。この子を、こんなにしたのは、だれだろう。

「じゃあ、これは、知っている?」

 いまも血に濡れた唇を、拇指でなぞる。瞳と瞳とが溶けるように混じり合う。そのたびに鮮烈なあの一瞬がよみがえる。

「罪を感じたことなんて、ないんだ」

 それを、どうか責めないでほしい、と思った。

 誇りに思っているのだから。

 完璧な不安定で不確かさをもつ、繭のようなきみを。